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これは高校3年時に書き始めた「日記」の断片を主題に沿って抽出したものである。ちなみに「日記」は1990年6月3日から万年筆によって書き始めているが、本の冒頭では2篇の自作詩を書き添えている。誤字脱字や括弧の付加以外の文章は当時のままである。
1990年9月27日(木)
きのうは予定だった善人会議『まほうつかいのでし』公演はあいにくの雨でしたが、スズナリへ向かいました。私はこの日初めて小田急線に乗りました。スズナリは下北沢にあるのです。私は今日のいや、この日の雨を少しも恨んではいません。体育祭がつぶれた原因はこの雨だからです。
さて、舞台の方はというと、前回とはちょっと趣向が違って今回はきたないというコンセプトでしたね。それがごく普通のアパート生活なのですが、くさいにおいまで再現されてしまってこういう舞台はそうはありません。しかし今度のテーマはわりとしっかりしていて、“まほうつかいのでし”がまほうつかいになるために、人間を利用して洪水をおこさせようとするのですがこの人間が、実にアパート生活になじんでしまっていて、冒険しようとしない。結局は“でし”は失敗に終わり、洪水は起きなかったわけです。ところが、この人間の生み出した想像の生物は生き続け、彼の心の中のごちゃごちゃしたものとなった生物の苦しみが始まり、共に一体であることに気づきます。そしてその生物からはどろどろとした人間の姿があらわれるのです。
私は今まで自分は守りの人間と思っていました。守りというのは、自分の世界を絶対他の人にはくずさせたりしないという意味です。ところが本当は違っていたようです。本当は他の人の考え方と融合をはかろうとしていたのです。つまり守りと攻め両方ということになります。むしろ他の人の方が守りが固いわけで、つねに他の領域に入りこめることができる自分に誇りさえ、感じています。しかし心の中にはそれとは違うごちゃごちゃしたものもあるのです。さらにはまったくすきとおっている青い海のような平面も存在しています。“青い海”というよりも無色とうめいのような気がします。
それがどういうものか、わかっていません。いいえ、わかっていてもわかっていたくないのです。もちろんこれは誰にも関係のないことですけども…。
〈了〉
(2010.10.19)

