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自己の「生」を記憶によって述懐する時、その史実が曖昧になっていくのは、どうしても避けられないことだ。前後の脈絡がはっきりせず、その史実が一体何を表していたのか、判然としないことがしばしある。
1991年、私は東京・台東区にある専門学校に入学した。この時、入学式は校内で行なわれなかった。では一体どこで催されたのか。たしか、どこかの町の、中規模ホールを貸し切って行われたはずなのだが、はっきりとしたことはなかなか思い出せない。
僅かに残存していた記憶は、ほとんどが皮膚感覚的な記憶であった。ある駅に降り立ち、ほぼ直線に伸びた道路を歩いて行くと、一軒の書店があって、その書店に立ち寄った記憶がうっすらとある。そしてそれから、会場のホールにたどり着くと、たくさんの学生が集まっていたはずだ。そこで私は、小学校の同級生だった女性と、偶然出会ったのだった。〈まさかこんな所で会うなんて〉と、お互い驚いたことは覚えている。がしかし、その後のことはやはり思い出せない。
帝国書院『最新基本地図』の都心部のページを広げ、駅から直線に伸びた道路に一軒の書店が点在する町、そしてそこから歩ける距離圏内に中規模のホールがあるかどうか探した。新宿や池袋、渋谷界隈ではない。従って、場所を神田界隈と麹町、虎ノ門付近に限定した。あの入学式を行なったホールは、どことなく議員会館のような雰囲気があった。絞った区域には、それらしき場所があるような気がしたのだ。
地図を調べていくうちに、地下鉄の神保町駅から武道館を行く方角に、九段会館というホールがあるのがわかった。神保町駅周辺は書店ばかりだし、駅からの距離も決して遠くない。内堀通りに面したこの九段会館の裏は、牛ヶ渕という北の丸公園の濠になっていて、場所的にも合っているだろうと思った。何より、この九段会館という響きが、議員会館と雰囲気を酷似させているように思われた。
ここで思い出したのが、高校時代に付けていた日記の存在である。その日記の最後半、たしか専門学校の入学式について書いた覚えがある。それを見れば、日時や場所が確定できるに違いない。そう思った私は、机の引き出しの奥にしまわれていた日記を、何年かぶりに取り出した。
[4月11日(木) 昨日から学校が始まりまして、午後駅に行ってみると、島崎くん(仮名)に会うことができました。彼も専門学校に通うそうで、池袋にあるギタークラフト科に進みます。彼の夢はどうやらスタジオ経営だそうで、今後の活躍が楽しみです。それから新橋に行くと、古谷恵美(仮名)がいました。何と同じ学校だったのです。その代わり彼女はデザイン科でして、会うことは少ないかも知れません]
ここで分かったことは、その日二人の友人と偶然出会ったこと、それから入学式の日が4月10日の水曜日であったこと、そしてその場所が新橋であることの3点である。
私はもう一度地図を手に取り、新橋駅のページを開いた。確かに駅の目の前に「雄峰堂」という書店があり、駅の烏森口から北へ、直線の通りが伸びている。この道をまっすぐ進み、虎ノ門病院そばの交差点を右折し、少し行くと「虎ノ門ホール」というのがある。もはや、この町に間違いない。新橋駅から歩いたその当時の距離感や方角を照合すると、皮膚感覚の記憶と日記に記してあった駅名とが見事に合致する。
[4月2日、入学準備日。四国・愛媛県からやってきた篠本謙也(仮名)という男と知り合う。この男は北千住近くの町にアパートを借りた。仕送り10万。同じ音響芸術科]
入学のための教材やら書類の手続きなどで学校に訪れた日、突然話しかけてきた男が篠本であった。以後彼と行動を共にしたが、授業が本格的に始まるやいなや、彼は別のクラスでほとんど顔を合わせる機会がなくなり、廊下ですれ違う際、ちょっと会釈する程度に落ち着き、知り合いの範疇を越えることができなかった。その後、篠本は、期末試験で赤点をとり、留年。
留年をよしとしなかったのか、あるいは音響芸術科そのものに嫌気がさしたのか、翌年から宣伝クリエイティブ科に転入。以後、彼が学校をうまく卒業できたのかどうか、私にはその手の情報は伝わっていない。
いずれにしても、北千住付近のアパートのこと、仕送り10万云々――といったことは、記憶を完全に凌駕した取材的記述であった。
〈了〉
(1997-2000)

